『津軽びいどろ』の生まれた青森県の多彩な「いろ」と「ひと」と「もの」、そして「こと」を訪ねて取材、土地の魅力を発信していくコンテンツです。今回は青森の夏の代名詞「ねぶた」のなかでも、一番はやく運行する「高田ねぶた」についてご紹介します。
青森の夏へ、最初に火を灯す地域ねぶた。
「高田ねぶた」だからできる、
地域の愛しかた。
青森のねぶた(ねぷた)といえば、青森市「青森ねぶた祭」・弘前市「弘前ねぷたまつり」・五所川原市「五所川原立佞武多」の“三大ねぶた”が有名ですが、それだけではなく、青森では各地に「地域ねぶた」があることをご存知でしょうか?地域ねぶたというのは、町内会など、その地区に住む人たちによってつくられるねぶたのことです。体育館や公民館で、地元の人たちが集まって小さなねぶたをつくる。それが青森の文化であり、子どもの頃から慣れ親しんでいる風習でもあります。高田ねぶたはそのなかでも、伝統の継承を大切にしている地域ねぶたです。7月初頭、他のどのねぶたよりもはやく運行して、青森の夏の先陣を切ります。
残したい景色
ひと貼りの和紙
ひと塗りの筆先
祭り衣装とねぶた囃子
青森の夏がはじまる
竹と麻紐だけで組み上げる、
伝統的なねぶたへの挑戦。
地域に根ざしたねぶたで、
青森の文化を後世へ。
地域ねぶたはかつて70団体ほどが運行されていましたが、人口減少やコロナ禍などの社会情勢もあり、現在では30団体ほどまで数を減らしてしまいました。
青森の人たちにとって、長い冬を乗り越えたあとに鮮やかな夏を楽しむねぶたは、やはり特別なものです。その“特別”は、生まれた時から身近にある、地域ねぶたがあってこそ育まれてきました。三大ねぶたのような大型ねぶたは専門職の「ねぶた師」が手がけていますが、地域ねぶたは地元の人たちでモチーフを決め、型を組み、紙を貼って、色づけまで行っていきます。いつでもねぶたに触れることができる、生活の一部となっている環境が、青森にねぶたという文化を根付かせてきました。いま「ねぶた師」として活躍されている職人たちも、もともとは地元のねぶたに触れるなかで、ねぶたが大好きになった方がほとんどだといいます。これからの青森にとって、地域ねぶたをどう未来へ繋いでいくか?が大切になっているのです。
そうしたなかで、伝統を守りながらも新しい取り組みで地域ねぶたを復活させたのが、高田ねぶたです。「北海道・北東北の縄文遺跡群」のひとつとして世界遺産に登録された小牧野遺跡に隣接する高田地区では、担い手不足などの理由から、20年ほどねぶたが途絶えていました。復活したのは2017年のことです。その立役者となったのは「縄文の学び舎・小牧野館」で遺跡を管理している後藤 公司さん。高田地区は地元ではありませんが、縁ある土地として、ねぶたによる地域活性化を進めてきました。後藤さんがこだわったのが、伝統的なねぶたの復活です。ねぶたのベースは針金で立体感を出すのが現在では一般的ですが、高田ねぶたは青森で唯一、竹や麻紐だけを使って昔ながらの表現を追求しています。第7代ねぶた名人で、以前津軽びいどろでも取材させていただいた竹浪 比呂央さんもその活動に賛同。毎年ひとつ、オリジナルの高田ねぶたを製作しています。昔のねぶたを想像しながらの表現は、ご自身の大型ねぶた作成にも新しい刺激となっているのだとか。針金とは違って、全体的に丸みを帯びた表現になる高田ねぶたは、他のどのねぶたにもない魅力を秘めています。
ねぶた囃子十種の再現と跳人の乱舞。
青森だけでなく、
全国からねぶたを愛する有志が集結。
後藤さんが復活させたのは、ねぶた製作だけではありません。運行の際の音楽・掛け声である「ねぶた囃子」も、古い録音や口伝を集めて復活させました。ねぶた囃子は本来、集合(運行の始まり)・進行・小休止・戻り(運行の帰り)・小屋入りなど、ねぶたの運行状況を周囲に音で伝える役割で、掛け声や調子は地域によっても異なりますが、10種類あることから「十種」と呼ばれています。青森ねぶたの「ラッセーラー」や、弘前ねぷたの「ヤーヤドー」という掛け声は進行囃子のひとつです。いまではメインとなる3〜4種類の囃子だけを使う地区が多いのですが、高田ねぶたでは十種全てを復活させて、子どもも大人も、音を聞けばねぶたの状況がわかるようになったのだとか。囃子を奏でるのは、囃子を子どもに伝承し、一緒に楽しむために結成された「青森わの會」が担っています。おもしろいのは、青森わの會のメンバーが、地区外の各地から集まってきていることです。伝統を残すために活動する青森わの會が、担い手不足に悩む地域ねぶたや祭りに活気を与えて、青森全体を盛り上げているのです。高田ねぶたでは青森わの會の法被を着た地元の方も多く、笛や鉦を手に、子どもを連れてねぶたを楽しむ姿も印象的でした。ねぶた本来の姿がここにあるような、青森の原風景に触れる時間が、高田地区に戻ってきたのです。
さらに、ねぶたの盛り上がりには欠かせない跳人(ハネト)も、全国から集まってきています。子どもたちを中心に地元の方も行進に参加していますが、華やかな衣装を身につけた跳人の集団はやはり目をひく存在です。跳人衆団「跳龍會」も後藤さんが設立し會頭を務め、現在は名誉顧問として活動しており、ねぶたを愛してやまないメンバーが、青森だけではなく関東や関西からも集結。歴代の“ミスター跳人”たちが所属する本格派です。ねぶた囃子にあわせて高く軽やかに乱舞する跳人は、ねぶたの盛り上げ役。白塗りやユニークな格好で街道を楽しませる「化人(バケト)」もいます。遠くから聴こえるねぶた囃子、楽しみに待つ道にゆっくりとねぶたが渡り、その間を跳人と化人が盛り上げる…。楽しく忘れがたい夏の記憶は、こうして刻まれていくのでしょうか。行く先々で、ねぶたは笑顔をつくっていきます。子どもたちは跳人と輪になって踊り、誰もが童心に返ったように無邪気な拍手を送っていました。山間の、決して人口が多いわけではない土地をこんなふうに盛り上げられるのは、地域ねぶたあってこそです。
こころがじゃわめく
ラッセーラー
笑みが溢れる
からだが跳ねる
ラッセーラー
地域の笑顔と、郷土愛をつくるねぶたへ。
昼と夜でガラリと変わる
ねぶたの表情も見どころ。
高田ねぶたは昼と夜の二部制で、それぞれいくつかの集落を回りながら、最後は「縄文の学び舎・小牧野館」で締めくくりとなります。地域の保育園や小学校では囃子の練習をしているところも多く、誰もが思い思いにねぶたの行進に参加していきます。紙貼りや絵付けに参加した子どもたちが、自分の担当した部分を指さして、あそこは誰で、ここは誰でと盛り上がる姿もありました。
竹でつくる伝統的な高田ねぶたは頭の部分を後で取り付けて完成させるため、ねぶたが動くと頭が僅かに揺れて、まるで生きているような動きが演出できます。昼間はその独特な動きがよくわかり、色の鮮やかさや細やかな柄など、作品としてのねぶたを鑑賞できる機会にもなっています。一転して夜は、力強い魂を感じられるねぶたが魅力となります。現在のねぶたはLEDで鮮やかに照らすのが一般的ですが、高田ねぶたでは本物の火にこだわり、暗闇に揺らめくロウソクの灯りでねぶたを運行しているからです。
ねぶたに魂を入れる、
ロウソクの灯「ねぶ玉」。
青森で唯一残る、
炎に揺らめく神秘的な存在感。
ねぶたは蝋引きで透かしを入れた絵付けをしているため、灯を入れると透明な部分が光を放ち、存在感が増す特徴があります。灯を入れることを「魂入れ」と表現するほどで、とくに眼は、いきいきとした輝きが鮮明になります。
高田ねぶたはロウソクを使った魂入れを残すため、独自のロウソク「ねぶ玉」を開発しました。炎の揺らめきを感じさせながらも、消えにくく安全性が高いことが特徴で、伝統に則り、寺社で使われたロウソクを集めて再利用しているのだそうです。ねぶ玉が入ると、ねぶたの雰囲気はガラリと変わります。眼は蝋引きによりロウソクの炎を感じやすくなっており、炎の揺れが瞳を動かし、鼓動を与えて、表情をつくる…。LEDの華やかさとは異なる、どこか怪しさを内包した世界が広がります。そしてここからは戻り囃子となって、静かな雰囲気で締めくくりの「炎浄」へと進んでいくのです。
ねぶたは病疫退散の祈りを込めてつくられ、浄化されることが本来の役割です。高田ねぶたも伝統の作法を継承し、地域で創り上げたねぶたを炎浄することで、家族や自身の息災を祈ります。薪の炎が移るとねぶたは内側から朱色に染まり、パチパチと爆ぜる音、立ち上る煙とともに一気に燃え尽きていきました。来年も、100年後も、その先もこの時と出会えるように、津軽びいどろもねぶたを色に込めて残していきたいと思っています。
ギャラリー
今回登場したステキなひとは...
後藤 公司さん
国指定史跡小牧野遺跡管理法人理事、青森高田ねぶた実行委員会事務局長、青森ねぶた跳人衆団跳龍會名誉顧問。青森県青森市中央町出身。
小牧野遺跡の管理業務を行いながら、伝統的なねぶたの再現をめざし、高田ねぶたのデザインも手がける。5年ほどかけて開発した「ねぶ玉」を他地域へも提供するなど、青森全体の活性化のために活動している。高田ねぶた炎浄では、炎浄を行う「縄文の学び舎・小牧野館」が廃校となった野沢小学校跡地にあることに関連して、野沢小学校で独自に使われていたオリジナルのねぶた囃子を再現。この土地ならではのねぶたを常に考え、創り上げている。