『津軽びいどろ』の生まれた青森県の多彩な「いろ」と「ひと」と「もの」を訪ねて取材、土地の魅力を発信していくコンテンツです。今回は青森の春を彩る「弘前の桜」と、その美しさをつくりだす“桜守”という職人についてご紹介します。
桜色の美しい光景を、
未来へと繋いでいく樹木医たち。
弘前の桜には、守り人がいる。見渡す限り桜色に染まる光景が幻想的で、観光客にもとくに人気の高い、青森の弘前公園。ふんわりと花芽が豊かなソメイヨシノは、一般的な桜の寿命を大きく超えた立派なものばかりです。いまでは、奈良の吉野と並んで「桜といえば弘前」と言われるようになった弘前。そこには青森の歴史と、“桜守”と呼ばれる存在が大きく関わっています。
桜の木の傍らには、
いつも“桜守”という職人が寄り添っている。
藩政時代、津軽氏十万石の城下町として栄えた弘前。弘前公園は全域が史跡津軽氏城跡弘前地跡として指定を受けています。廃藩後、いっときは荒れ果ててしまった弘前城でしたが、それを憂いた旧藩士により明治~大正にかけてソメイヨシノが植えられ、今では憩いの場として親しまれる程になりました。日本最古のソメイヨシノや、日本で一番太いソメイヨシノも弘前公園にあります。この、52品種約2600本もの桜を管理しているのが、弘前市公園緑地課の“チーム桜守”です。
桜守は樹木医という資格を持ち、弘前市では3名の桜守が中心となって樹々を守っています。青森初の女性樹木医である橋場さんも、そのひとり。「弘前の桜は“弘前方式”という技術が用いられているので、樹高が低く花芽が豊かなことが特徴です。通常のソメイヨシノであれば、ひとつの芽から2つ3つほどしか花が咲きませんが、弘前では4つ5つ、ときには7つと、次々と咲いてくるんですよ」。
相棒のような剪定鋏
弘前の刀鍛冶の伝統が
その切れ味に宿る鋏。
桜を一緒に守り育むのなら
この鋏だと決めている。
弘前のりんご農家に学んだ
“弘前方式”の剪定で、老いた樹が再生。
青森の名産品のひとつ、りんごの樹の剪定技術が応用された“弘前方式”は、偶然発見されたものでした。弘前公園に現在の公園緑地課が設置された昭和30年ごろ。その当時、明治期に植えられた桜たちは樹齢60年ほどを迎えていました。樹としては、徐々に衰退してくるころ。それでも長く花を見せてくれるようにと、りんご農家出身の職員が桜の枝を剪定したところ、切り口からは元気な枝芽がどんどん伸びて、若返ったように花を咲かせるようになったのだといいます。実はそれまでは「桜伐る馬鹿」といわれるほど、桜の剪定はタブーとされていました。青森だからこそ起きたひとつの偶然が、弘前の未来の風景を変えたのです。
「いま弘前で暮らしている多くの方は、“生まれた時から桜が身近にある”方ばかりです。子どもの頃家族と撮った写真の桜を、大人になってから探すこともできます。お祖父様やお祖母様、お父様やお母様の思い出の桜を、子どもたちと一緒に眺めることだってできますよ。樹齢100年にもなる桜がこんなにもたくさん並ぶのは、日本中でも弘前だけではないでしょうか。先代の桜守から受け継いだ大切な桜を、私も次の世代へと残していかなければと思っています」。
桜の美しさを次の世代に残すために。
桜守の挑戦。
弘前公園には櫓や三重の水濠がそのまま残されていて、桜の花びらが濠の水面を染め上げる「花筏」など、ここにしかない桜情景に出会えることが魅力です。しかし、公園そのものが史跡だからこそ弘前の桜は植え替えができず、土も30cmまでしか手を入れることができません。ほかの場所であれば、樹齢を重ねた樹は新しい樹へと植え替えることもありますが、弘前では古い樹を大切にする必要があったのです。
「桜といえば春のイメージですけれど、花が終わると肥料を施したり、冬は雪の重さから枝を守ったり…と一年中やることがたくさんあります。なかでも土の入れ替えは、1年間で20本くらいしかできません。弱っている樹を中心に作業していますけれど、このペースだと全部の桜をケアするためには100年以上かかってしまうんです(笑)。これからどうやってこの美しい桜を受け継いでいくのか、後継となる樹木医の育成も含めて考えていきたいと思っています」。
桜色に霞む春、
淡い薫り、花筏…弘前にしかない桜情景。
その年の気候や環境によって常に変化していく桜と向き合いながら、伐るべき枝を見極め、今後の桜を思いうかべながら作業方針を決めるチーム桜守。「どこへ枝を伸ばすべきか、その樹や公園の未来を見極めながら日々ケアをしています。私が受け継いだ桜、いま今の桜、未来の桜…それは、樹齢も含めて全て状態が異なる桜です。この作業が10年後、50年後の景色に繋がっていると思うと、何としてもやらなければ、という気持ちになりますね」。
自分自身も弘前の桜が大好きで、仕事で桜に携われることが嬉しいと語る橋場さんならではのオススメポイントは、「弘前公園は、早朝にソメイヨシノの薫りがすること」なのだとか。「弘前の桜は花の数が多いですし、限られた敷地内に、本当にたくさんに桜が植えられています。樹高が低いこともあって、ソメイヨシノのようなごく淡い香りにも気づくことができるんです。満開を迎えてから散りはじめにかけては、薫り方が繊細に変わっていきます。個人的には、満開初日の香りがさわやかだなと思っています。それと花筏の見頃には、水面に浮かぶ花弁と樹上に残る花弁とで、まるで万華鏡のように見えるんですよ」
茂る青葉も、染まる紅葉も、雪を乗せた枝も、
全てが桜の美しさ。
「翌年に美しい花が咲くかどうか、夏の葉を見たらわかるんですよ」。弘前の桜は縦ではなく横へと枝を広げ、枝や葉が重なりすぎないように整えられています。光と風がすっと抜けていくことで、豊かに茂る葉からしっかりと栄養が行き渡るのです。また、桜の花芽は葉の付け根にできるので、健康な葉が多ければ翌春の開花は豊かなものとなります。
秋になれば、葉が鮮やかに色づくところも弘前桜の特長です。健康的な葉だからこそ秋に紅葉した姿が見られるのだといいます。弘前公園では秋にライトアップも行われていますが、紅葉や銀杏といった秋を代表する樹木に引けを取らず、桜が秋色の存在感を纏うようになります。冬になれば、太く立派な枝に積もる雪を櫻色にライトアップする「冬に咲くさくら」という人気のイベントも。春夏秋冬を問わず人々を魅了し続ける桜の樹は、桜を愛する桜守のひたむきな技術によって、これから先の未来へと受け継がれていくのでしょう。
今回の取材でお話をお聞きしたのは...
橋場 真紀子 Hashiba Makiko
樹木医 / 桜守
弘前市都市環境部公園緑地課 チーム桜守
青森県大鰐町出身。高校を卒業後に一度上京するものの、幼い頃から大好きだった桜に携わりたいと考え、樹木医を志して再び青森へ。1999年から現・一般財団法人弘前市みどりの協会で弘前城植物園で植物の管理育成に従事しながら、2006年に樹木医の資格を取得。2014年に弘前市役所に入庁してからは、「ハートの桜」など、女性ならではの感性で桜の魅力を発信しつつ、弘前の桜守として活躍中。
今回登場したステキな場所は...
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- 青森県弘前市にある梯郭式平山城の国史跡。別名:鷹岡城、高岡城。東西約600m、南北約1000m、三重の濠と土塁に囲まれた6つの郭から構成される日本100名城のひとつです。現存する天守、櫓、城門はいずれも国の重要文化財に指定されていて、見所も豊富。
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- 弘前市の中心部に位置する、総面積約49万2000平方メートル(約14万9000坪)にも及ぶ公園。藩政時代に弘前藩10万石を治めた津軽家代々の居城であった弘前城が基となっています。桜をはじめ、四季折々の多彩な草花が植えられた憩いの場。
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- 旧藩士の菊池楯衛から1882年(明治15年)に1000本寄贈されたうちの1本。弘前公園のソメイヨシノは樹齢100年を越すものが400本以上あって、立派に花を咲かせていることから、その管理技術は多くの専門家から注目されています。